結衣子は今日のことだけ考える!

悩みがちな28歳共働きOLが日常生活について、仕事についてなど日々の考えたことを綴る雑記ブログです。

私にとって「年をとる」ということ

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誰しもある程度は「○歳までに○○をしたい」といったライフプランがあるのではないでしょうか。

予定より早く達成できれば順調だと嬉しくなり、なかなか達成できないようであれば、自分の年齢に焦りを感じてきます。

最近私は、「私の予定ではもうそろそろ子どもができているはずだったのに」と、年をとることにやきもきすることが増えてきました。

自分の感情に負けそうになったとき、私は茨木のり子の「自分の感受性ぐらい」という詩を読んでいます。

自分の年齢に焦ったときに読み返せるように、私にとって「年をとる」ということを考えてみました。

 

私にとって「年をとる」ということ

私にとって「年をとる」ということ。

それは根拠がなくては自信が持てなくなること。

10代の頃は根拠のない自信で満ちていたのに、いまの私には全くない。

でもいまは、わずかだけれど根拠ある自信だけを大事にしている。

 

私にとって「年をとる」ということ。

それは意識しないと夢が持てなくなること。

自分の足元しか見ていないのだから、夢なんて持てるわけがない。

一歩先を見つめることで、自然と夢はついてくる。

 

私にとって「年をとる」ということ。

それは一緒に笑いあえる人が増えること。

たとえ疎遠になっていても、自分で友達だと思う限り友だちはずっと友だち。

友だちも私からの連絡を待っている。

 

私にとって「年をとる」ということ。

それは多くの感情を知ること。

喜びを知る反面、怒り、悲しみ、嫉妬といった負の感情も経験した。

多くの感情を知ることで、前よりも多くの人の気持ちが理解できるようになった。

 

体力、見た目の若さ、失うものばかり目で追うのは浅はかだ。

理由もなく与えてもらえる期間が終わり、ようやく新の自分の人生が始まっただけ。

根拠ある自信は増えていく。

人生の長さの分だけ多くの夢がある。

笑い合える人が増えると、笑顔も増える。

多くの感情は私の世界を広げる。

 

年をとっても変わらずにいてほしいこと。

それは他人をこういう人間だと決めつけること。

人を見る目なんて養わなくていい。

疑う気持ちを持つくらいなら、だまされたっていい。

 

年をとっても変わらずにいてほしいこと。

それは私はこういう人間だと決めつけること。

時間がたつたびに自分のことをよく理解しているような気になってしまうけれど。

10代の私と20代の私が違うように、今日の私と明日の私は違う。

 

年をとっても変わらずにいてほしいこと。

それは若く浅はかだったころの私をばかにしないこと。

悩みながらも進んでいるのは昔もいまも同じこと。

浅はかだったころがあるから、いまの私がいる。

 

補足

最後は「年をとっても変わらずにいてほしいこと」と書きましたが、28歳の私は既に変わってしまっています。

他人を決めつけ、時に疑い、自分を決めつけ、達成できなそうなことは最初から挑戦せず、10代の頃を思い返してはあの頃はばかだったと恥ずかしくなります。

そうは言っても、他人も自分も決めつけず、過去の自分もけなさない頃の私もいたような気がします。未来への自分の戒めとして、最後の部分を付け足しました。